ただの10年以上前の日記
最近勝手にブログを始めることにしてしまった。
勝手に始めたからには勝手にやらせてもらう。本日、部活に出た。
最近後輩ができてなんとも部室がアウェイな感じがする。なんかどうにも「先輩」と呼ばれるのはむず痒い。俺なんかそんなふうに呼ばれる価値が無いような気がしてならない。部員が帰った後、先輩と2人で部室の片付けをした。信じられないほど汚い部室はかなり頑張ってきれいにしました。なんか机とか拭いたりすると愛着がわいてきたりして・・・・イヤないね。汚かった部室は模様替えしたようになった。そんなふうに遅くまで部室で頑張っていると高校生の頃部活を頑張っていた頃の感覚が心の中に不確かな形で現れる。その感覚が心から抜けないうちに私は眠るとしよう。
自分を何かにたとえるとと聞かれたら
私は「自分は木炭だ」と答えるだろう。本当の姿は黒い汚らしい何でもない炭。
人前では自分をよく見せる為に我が身を燃やし周りによく見せる。元は大した物ではないのに。家に帰ると燃え尽き無気力な灰になり辺りは暗闇に飲み込まれる。何にも無い暗闇に・・・そして一日が終わるのである。
今日もそんなふうに一日が終わった。そろそろ休息が欲しい。
自分は大人になっているのか。
しばしば悩む問題である。子どもの頃、「大人なのだから我慢しなさい。」と言われた。
当時は大人=我慢することだと思っていた。
欲しいものがあっても我慢すると「〇〇は大人だねぇ~」と言われる。
なので様々事を我慢するようになった。
でも欲しいものを我慢するのはとても辛い。それを解決する方法を考えた。
- 何も望まない事。
- そんな事を考えてしまった。
- 子供心にとても良い方法だと思った。
- それ以来、私は何か我慢したとき心の中で「私は何も欲しくない」と呟いた。
- 不思議とだんだん我慢が辛くなくなってきた。
- それと共に本当に何も欲しくなくなってきた。
- それが大人になる事だと思った。
大人になってきたと信じていた。
しかしそれは違った。欲が無くなってくると次第に「自分」が薄くなってきた。
何も欲しくないので誰かが命令しないと動けない。自分で考える事が出来ない。私は生の肉で出来たロボットのようであった。しかしそんな自分に何の疑問も持たなかった。
ある時、友人が「そろそろ前の誕生日だからなんか欲しいもの言えよ」と言った。
私は欲しいものを何も言わなかった。いや、言えなかった。友人のこの言葉はあまりにも自分には衝撃的だった。今までの人生に疑問を持った。とりあえづ欲しくもない物の名前を適当に言った。
大人=我慢 ではないと思った。自分が何も望まない事を忌々しく思った。しかし今でも特に欲しいものは無い。
私は大人という仮面を被った何かなのだと思う。仮面の下にあるのは子供の顔ではなく、何の特徴も無い人ではないものだと思う。それは誰から見ても何の特徴も無くのっぺりしていて何も思わない。
私はせめて普通になりたいと思う。だから時々何か欲しいものがあると嬉しくなる。
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