博士の学生と言うモノの取り扱い方
博士学生の取り扱い方
さて、研究室のドクターと盛り上がる話を2つか紹介したい。一つ目は、ドクターに対する励ましかたについてだ。知り合いのオバさんに会うとよくいわれる台詞がある。
ドクターに進学した者は、この台詞をよく聞かされる。
しかし、この言葉はドクターに進学した人々の心をひどく傷つけると覚えていてほしい。
ほとんどのドクターは「お勉強」をしている訳ではなく「研究」をしているのだ。
この些細なことで3日は研究室に引きこもるに違いない。
2つ目は、「大学での研究が人の役に立つのか」ということだ。
最近、後輩が就職活動を始めたので、しばしば話題になっている。
私は「大学の研究が人のため、社会のためになってはいけない」と主張する。
後輩は「研究は人のためになるべき」だと言っていたが、優しくただしき研究の目的は社会のためでは無いと諭してあげた。
「社会のため、人のため」とは、どこか遠くの誰かの幸せのためということである。
私たちは、給料も出ず、奨学金という借金を背負い、朝から深夜、土曜日、祝日まで研究をしている。自分の時間や休憩などは、雀の涙ほどだ。
さらに世間の目も冷たい。大学を卒業しない道楽息子としか思われていないのだ。
つまり我々は、全く持って幸せでは無い。
このような我々の犠牲から得られた成果で、我々以外の誰かが利益を被ると言うのは、極めて理不尽であり、許しがたいことだ。
自分の血のにじむような努力が、ドクターは社会不適合者のクズだと思っている人の幸せに消費されているという結果を知れば、大学院生のやる気を失活させる。そうなれば、科学の進歩が止まってしまい、人類の文明の進歩すらしなくなるだろう。
すなわち、大学の研究成果が人の役に立ってはいけないのだ。
人のためになる研究を僕はしたくない。
久しぶりに日記を書いてしまった。
貴重な時間を使ってしまった。
さて、どうでもいい話なんですが、オリジン弁当のカキフライがおいしいです。
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