日本の幸福度
日本の幸福度が低いと各地で話題になっている。
本当にそうだろうか。私は疑問に思った。
まず「幸福度」というものは何なのだろうか。
算出方法は
主観的幸福感 幸福度指標試案は「主観的幸福感」を頂点として体系化することは上述の通りである。 通常幸福感は、最も不幸と感じる場合に 0 点、最も幸福と感じる場合に 10 点として点数 を回答してもらう方法や「とても幸福」から「とても不幸」などの5択から選択してもらう方法で計測されている
らしい。
これは、根本が人の主観によるものである。
すなわち、どのように人は幸福を感じるのかを考える必要があるのだ。
人の幸福とは何か、それに目を向けることが、
幸福な社会を実現する上で必要なのである。
”人の幸福”とは?
1つ目:経済社会状況
所得であったり、資産であったり、住宅であったりということです。
2つ目:心身の健康
体の健康と心の健康です。
3つ目:関係性
友達の多さや家族、恋人など
とのことです。
これに関しても評価基準は体の健康以外は主観的に決定されます。
"主観的とは”つなわち”本人次第”なのである。
”あなたは幸せですか?”
これを聞かれた時、周囲の人間より、自分が劣った存在である時(年収が少ない、友達が少ない、仕事ができない等)あなたは幸せと答えられますか?
ほとんど人が、NOと言います。
一方で、テレビの中の人が金持ちで仕事できてイケメン美女でも気にしませんよね。
これは幸せの基準が、自らの社会の輪のなかで、自分の立ち位置により決定されるということを示します。
”井の中の蛙”は幸せなのです。
大海を知ってしまったら、不幸せになるのです。
以上により、幸せが”自らの社会の範囲により決定される”ことが明らかになりました。
では、実際に幸せを掴むために何をしたらよいのでしょう。
1つ目、自らの社会範囲を限定する。
会社同僚、学校の友達、地域の付き合い等、明確な比較対象を決定し、その範囲で自分の立ち位置を明確にする。
2つ目、自らの劣る点と優れている点を明らかにしましょう。
3つ目、相対的立ち位置の高い人を比較対象から除外しましょう。
上を減らしていけば、相対位置は向上します。
最後に、「相対的幸福理論」を提唱する。
人は、周りと自分を比較して幸福を定義している。そのため、周りが不幸になるほど、あなたは幸福になります。
他人の不幸は蜜の味というが、昔の人はうまく言ったものです。
周りの不幸を祈ることこそが自らの幸福を祈ることなのです。
それを頭に入れた上で、幸福を求めてみてはいかがでしょうか。
自分だけの世界を作れば、常に比較対象がいないため、純粋な幸福をてにいれることができるかもしれませんね。
結婚するならば「普通の男性」であれば
誰でもいい。
そんな言葉を聞くことが多い。
私は、相手の機嫌を損ねないようにうなづく。
さて、「普通」とは何であろうか。
まず人間のパラメータを全て数値化できると仮定する。
(数値化できないものから平均値や中央値が算出できないため)
日本人の中央値を普通と定義する。
この条件下では、総合能力値が中央値に近い人間が普通となる。
そして、普通より良い男性が、日本人口の半分居ることになる。
例えば高校のクラスメイトを見ると
同じ部屋の半分の男性と結婚しても良いという考えになる。
例えば会社のオフィスを見たとき、
視界に入る男の中の半数と結婚しても良いという考えになる。
果たして、それは相談者にとって可能であろうか。
さらにここでプラスアルファの問題が発生する。
細かい条件を追加した場合だ。
例えば
顔、普通
性格、普通
身長、普通
年収、普通
・・・・等
である。
それぞれのパラメータに相関がないと考えると、
普通の顔の人の存在確率が50%
そのうち性格が普通の人の存在確率が50%
・・・・と
項目ごとに存在確率は半分に減っていく。
顔、性格、身長、年収のパラメータが普通より良い人は、6%しか存在しないことになる。
すなわち、そんな人間は普通ではないのだ。
このように普通の人間を探すこと自体が問題なのである。
そして、相談者自身のスペックは、
人間社会の上位6%に分類されるのであろうか。
分類されるのであれは、男が寄ってきているはずです。
男が居ないのであれば、自身が普通以下であるため、
相手に普通を求めてはいけません。
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